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ステープラーは、機関銃の発明者でもあるアメリカのベンジャミン・ホッチキスが発明した。綴じ針の送り装置は、マシンガンの弾丸送り装置がヒントといわれる。
アメリカで広く使われていたステープラーが日本にもたらされたのは、明治36年のことで、アメリカのホッチキス社の商品が最初。そこで日本でホッチキスと呼ばれた。大正3〜4年頃から大量輸入される。当時はむかで式といわれ、背の部分がつながったものを、上からたたき切って綴じる非接着型綴じ針(アクメ1号)を使っていた。
大正7年頃になると伊藤喜商店、堀井謄写堂が国産化。大正15年頃にプレス加工の「ジョイント」と呼ばれる製品が雨森文永堂から発売される。以来2号ステープラーはジョイントと呼ばれるが、現在は発売されていない。その後、3号の綴じ針がドイツから輸入され、スマート3号が昭和3年に作られる。さらに、ワイヤー式5号(ワイヤー切断の綴じ針)、ホルダー9号と続く。
現在、広く使われている10号ステープラーを日本で最初に作ったのは山田興業(現マックス)。その後曲折を経て国内でもバラエティある製品が発売されている。