複写機

 最も古い青写真(シアノタイプ)は、1842年に発明された。本格的に事務用として使われたジアゾ複写機は、1920年(大正9年)にドイツで開発されている。国内初のジアゾ機は、昭和26年に発売された湿式の「コピアM型」。本格的な普及は同33年から始まっている。その後、EF方式(静電式湿式)の複写機、リコーの「BS1」が昭和40年に登場して爆発的に普及。同40年代にはEFがジアゾを凌ぎ、完全にEFの時代となった。
 PPC(普通紙複写機、静電間接式)は昭和30年に米ゼロックスが開発、国内では同37年に富士ゼロックスが販売を開始した。国産機は昭和45年に発表され、翌46年1月に小西六(現コニカ)、キヤノンが相次ぎ発売した。現在はこのPPCがほとんどを占め、後はA0判やA1判など大判複写機分野でジアゾ式がわずかに残っている。しかし、PPCの大判機も登場し、低価格化とともにジアゾ機も少なくなっている。
 カラー複写機は、昭和48年に日立がEF方式で開発。リコー、キヤノンほかも発売した。そしてキヤノンが昭和63年にデジタル式を発売、カラーが本格化した。

 

ファクシミリ

 ファクシミリ(略称ファックス)の歴史はきわめて古く、1843年にスコットランドの電気技師、アレキサンダー・ベインによって発明されている。これは、モールスが電信を発明した1837年より少し後、アレキサンダーグラハム・ベルが電話機を発明した1876年より30年以上も前。
 日本では昭和3年に丹波保次郎、小林正次両博士がNE式写真電送を完成させ、御大典の写真を東京−大阪間で送ったのが最初。この後いろいろな方法でファクシミリが実験的に使われるが、気象図、文書、図面などの電送に広く用いられるようになったのは戦後から。 わが国では公衆通信回線(一般用の3.4キロヘルツの電話回線)の使用が、音声通信(いわゆる電話)だけに限られていたため、ファクシミリ電送は専用回線を使わざるを得なかった。そのため利用は、新聞社や気象庁、国鉄(現JR)、警察など一部の特殊な業務に限られていた。
 ファクシミリが事務用から家庭用まで幅広く利用され始めたのは、昭和48年の電電公社(現NTT)の公衆通信回線開放による。  これにより電話網があればどこにでも設置できることになった。

 

パソコン

 昭和50年頃、8ビットパソコンが登場、52年、53年と参入メーカーが相次いだが、当初はゲームが中心で、ビジネス用としてオフコンの下を埋めるには性能が低すぎた。本格的なビジネスでの使用は、昭和57年に16ビット機が登場してから。
 以降、パソコンの需要は急速に拡大、オフィスでは不可欠なOA機器となっている。性能も32ビット機、64ビット機と飛躍的に向上、従来の汎用機並みの高性能となっている。

 

オフコン

 昭和43年に、電子式会計機というべき製品だが、三菱電機が「メルコム81」を発表した。今日のオフィスコンピューター(オフコン)の原型だろう。それまでのコンピューターは、専用の部屋、専用オペレーターなどが必要で、オフコンの登場により、一般のオフィスで誰もが簡単にコンピューターが使えるようになったといえる。第1次普及機だが、同52年まで1万台弱の出荷が続いた。
 そして、通産省がオフコンの定義ともいえる@小さく、静かで、操作が簡単A1人分の経費で賄える−など6項目の条件を発表。これに合致した第1号機として、内田洋行の「USAC−820」が、昭和50年10月に発売され、各メーカーも続いた。
 オフコンは当初、作票計算機、計算タイプライタ、在庫管理機などの会計機(記憶機能を持つ計算機とタイプの複合機)の高級クラスと競合したが、昭和53年から急速に拡大し、主に中小企業のホストコンピューターとして、情報化を支えてきた。しかし、平成に入りコンピューター市場全体にわたる構造変革、不況などの要因により、大幅に減少しだし岐路に立たされている。